社寺建築の石工事

社寺建築は石寅が創業以来、一貫して精魂を傾けて取り組んできた分野です。その事例数は枚挙にいとまがなく、それら堂塔伽藍の多くは、今なお、歴史に残る名建築物としてその名をとどめています。社寺建築は、まさに100有余年の歴史を貫く石寅のシンボルと言えます。

三千院円融房参道及基壇工事

高雄山神護寺本堂基壇石積

三千院護摩堂石工事

比叡山延暦寺阿弥陀堂新築石工事

塔・彫刻・鳥居

日本文化における信仰の役割と重要性を充分に認識し、伝統の技を駆使しながら、ひとつひとつ丁寧に、そして真心こめて作り上げました。

日吉神社鳥居(船井郡京丹波町)

大本山天龍寺寺号碑

花園西陵鳥居改修工事

顕本法華宗総本山妙満寺 開祖日什上人御廟塔

高雄山神護寺不動明王像

ミャンマー マンダレーヒル戦没者慰霊塔

2002年8月27日ミャンマー(旧ビルマ)マンダレーの丘で緬甸方面彼我戦没諸精霊慰霊塔の開眼法要が行われました。この慰霊塔はミャンマー産大理石で、総高3メートル15センチ、2002年1月20日から三週間をかけて石寅が製作、文字彫刻などを全て担当させていただきました。

マンダレーヒルは太平洋戦争中、インパール作戦の重要拠点となった所で、今回南太平洋友好協会(河野大通会長)の依頼で、昭和48年に建てられた木製の慰霊塔を、新しく建てかえたものです。

この慰霊塔の建立にあたって、ミャンマー日本友好協会事務局長イェットゥ氏や、ミャンマー政府関係者の方々に大変お世話になりました。また、施工には地元の人達のご協力もあり、感謝しております。無事工事が完成できたのも、戦没者の御霊が応援し、護って頂けたものと信じております。この慰霊塔は、過去の悲劇の記憶をとどめるとともに、これから発展していくであろうミャンマーの行く末を見守っていく事を祈念して止みません。

このような、鎮魂と世界平和を願う慰霊塔の建立に参加できたことは石寅の誇りです。これからも日本を代表できる石匠として、誇りと責任をもって邁進して行きます。

石碑

文学碑をはじめとする石碑・記念碑は、何より作者の墨跡を如何に正確に再現するかが生命です。石寅は、川端康成先生をはじめ高名な諸先生方の作品を多く手がけ、いずれも高い評価をいただいでいます。

岩壁大文字彫刻

昭和14年、石寅、西村寅吉は、時の臨済宗佛通寺派管長、吹毛軒 山崎益州老大師から佛通寺を訪ねるよう、お呼びを頂きました。
お話は、昭和12年9月14日中国大陸において敵陣に突撃し、銃弾と手榴弾を受けながらも軍刀を杖として、遙か皇居に向かって敬礼し立ったまま絶命(いわゆる『立往生』)された杉本五郎中佐の部下だった方々が、杉本中佐が生前山崎老師に参禅されていたゆかりの佛通寺の背後にある猛虎岩壁に、杉本中佐が子孫に残された遺訓「汝、吾を見んと要せば、尊皇に生きよ。尊皇精神ある処、常に我在り」より杉本中佐が大書された文字、「尊皇」の2文字を彫刻する。と言う事でした。

1文字4m角の大文字、2文字をほぼ垂直に切り立った岸壁に彫刻するため、上から台場を吊り下げ、その上で作業をしました。7月中旬の猛暑の頃で岩壁の岩が陽に焼け、大変だったと聞きます。

また、岩に移した文字がノミを振るって彫り込むと、表面がバラバラと剥がれてしまい、その度にまた文字を写し直して彫り始める、と言う苦労もあったようです。このようにして彫った文字の深さは太さの約六分程度で、「尊」の寸の点の中で小柄な職人が雨宿りに入れたと言うように伝え聞いております。

1か月余りを要してようやく完成し、時に昭和14年10月8日、山崎益州管長、藤井虎山執事、並びに広島の揮毫師範の方々に200メートルほど離れた所より検分して頂き、「文字、よく彫刻出来た、直すところなし」とお褒めを頂いたそうです。後に寅吉は「其の私のうれしさは無上、うれしなみだが出た、光栄でありました」と述懐しております。

川端康成先生と石寅

石寅は数ある諸先生方の中でも、特に川端康成先生と深いご縁があります。

[京都の木]北山杉記念碑(川端康成先生揮毫)

先生の揮毫による「京都・北山杉記念碑」では 「石材は大阪付近の自然石、石屋は嵯峨野の石寅さん」と、 御自身から指名されるという名誉を頂き、さらに 「石寅の石でなければ揮毫しない」とまで言わしめました。

井原西鶴辞世碑(北条団水 筆) 「浮世の月見過しにけり末二年」 井原西鶴 辞世

また、「井原西鶴辞世碑」の建立でも、川端康成先生の大きな力をいただきました。 先生の生前に碑の揮毫をお願いしていたところ、突然の他界。 しかし以前「辞世碑の書として最もふさわしい」とおっしゃっていた 西鶴の弟子・北条団水の書を採用して、井原西鶴没後三百年にあたる 平成5年、大阪谷町四丁目に無事完成しました。

「石寅の石でなければ揮毫しない」-という先生の言葉は、 石寅にとって大きな支え。石匠としての誇りとその責任の 重さを実感する言葉です。

京都一円、細やかな事も気持ちよくご対応します