株式会社 石寅

岩壁刻字「尊皇」- 杉本中佐の書

尊皇

岩壁大文字彫刻

昭和14年、石寅、西村寅吉は、時の臨済宗佛通寺派管長、吹毛軒 山崎益州老大師から佛通寺を訪ねるよう、お呼びを頂きました。

お話は、昭和12年9月14日中国大陸において敵陣に突撃し、銃弾と手榴弾を受けながらも軍刀を杖として、遙か皇居に向かって敬礼し立ったまま絶命(いわゆる『立往生』)された杉本五郎中佐の部下だった方々が、杉本中佐が生前山崎老師に参禅されていたゆかりの佛通寺の背後にある猛虎岩壁に、杉本中佐が子孫に残された遺訓「汝、吾を見んと要せば、尊皇に生きよ。尊皇精神ある処、常に我在り」より杉本中佐が大書された文字、「尊皇」の2文字を彫刻する。と言う事でした。

1文字4m角の大文字、2文字をほぼ垂直に切り立った岸壁に彫刻するため、上から台場を吊り下げ、その上で作業をしました。7月中旬の猛暑の頃で岩壁の岩が陽に焼け、大変だったと聞きます。

また、岩に移した文字がノミを振るって彫り込むと、表面がバラバラと剥がれてしまい、その度にまた文字を写し直して彫り始める、と言う苦労もあったようです。

このようにして彫った文字の深さは太さの約六分程度で、「尊」の寸の点の中で小柄な職人が雨宿りに入れたと言うように伝え聞いております。

1か月余りを要してようやく完成し、時に昭和14年10月8日、山崎益州管長、藤井虎山執事、並びに広島の揮毫師範の方々に200メートルほど離れた所より検分して頂き、「文字、よく彫刻出来た、直すところなし」とお褒めを頂いたそうです。後に寅吉は「其の私のうれしさは無上、うれしなみだが出た、光栄でありました」と述懐しております。